私が最初に住んだ中華圏は台湾です。ご存知のように、台湾は南の方にあります。
中国では以下のように北方、南方と分けられます。
(画像はハオ中国語アカデミーさんより拝借)
私は南の台湾で海外生活のスタートを切り、そこで日本語教師をしながら大学に通って中国語を習得しました。
台湾には4年ほど住み、日台ハーフと結婚して台湾の家族もできました。そして結婚後に広州に住み、1年間ここでも大学に通って大陸の中国語を習得。
よって、私の中国語は南方なまりで私の中国人に対するイメージも南方人によって形成されていました。
そして出産後、人生で最も混乱した数年を乗り越え、私は3歳の娘を連れて母子2人で今度は北方の内陸部に移住しました。大西北と呼ばれる西北部の、日本人のほとんどが名前も知らない内陸砂漠地帯です。(女1人子1人なので安全のため具体的な地名は伏せます)
開放的で陽気、おしゃべりな南方人を中国人だと思っていた私はここですぐには理解できないカルチャーショックを受けました。
日本からもほど近く、日本人も多く住む台湾や広州は多くの人が親日であり、親日とまではいかなくても日本のことを少なからず知っている人が多くいました。
だから日本人と知れば誰もが興味を持って話しかけてくれました。
そのフレンドリーさを期待して母子2人で身内も知り合いもいない土地に越してきた私はこの西北地域の人々があまり話しかけてくれないこと、日本や日本人に対する質問すらもないことに、戸惑いました。
大学の日本語科の先生たちでさえ、なんか変な空気があって私が先任の日本人教師にその気持ちを話すと北京在住歴が長いと言ったその50代後半の男性教師は「警戒してるんだよ」と言ったのです。
警戒!
ああ、この変な空気、壁のようなものはよそ者に対する警戒心だったのか・・・
「警戒心」というものは日本の関西で育った私自身に全くなく中国の南方地域でも感じたことのないものでした。
自分とあまりに縁遠いものだったのでその正体が自分ではすぐに分からなかったのです。”よそから来た”というだけで他人を警戒する人種が存在するのだということを、初めて体感しました。大学の日本語科の教師たちの中で比較的フレンドリーなのは日本留学歴のある先生たちでした。
やはり、人間「知らない」ものを警戒するのですね。
例え短い期間でも日本に住んだことがあり日本人の知人友人ができたことのある人は、警戒心もあまりないのでした。日本語を一生懸命勉強して日本語科の教師にはなったものの、日本に一度も行ったことのない人「日本人」というだけで私のことを警戒していたようです。
幼稚園の保護者についても同様でした。
みんな、私と娘が日本から来たことを先生から聞いて知っているのに私に興味を持って話しかけてくれる人は1人もいませんでした。
台湾なら、あっという間に囲まれて質問責めからのお節介になっていたことを考えると、私は不思議で仕方なくそして寂しくもありました。
この内陸部は外国人がほとんどおらず英語教師としてアメリカや南米の人は以前から数人いるらしいですが、日本人は街で私と先任の男性教師だけでその男性教師が来る前は1人も日本人はいなかったそうです。
観光客も来るような場所ではないのでほとんどの人にとって私は初めて生で見た「日本人」なのでした。
それなら警戒するのも仕方ないか。
2019年というこのグローバル時代に外国人を見たことがない人がこんなに大勢いたとは。
そして彼らの警戒心が解けるまでにはほぼ毎日接触する同僚教師で半年。日本や外国に興味があるかも分からない幼稚園の保護者に至っては1年ほどかかりました。
日本でも東北地域の人はよそ者に対する警戒心が強いと聞きます。後に秋田出身で同じく中国西北地域に住む日本人と話したら自分は気持ちがわかる、と言っていました。
狭い日本でも地域差はかなり大きい。
広大すぎる中国ならなおのこと。
北方と南方の違いは一度で語り尽くせないが南方から北方に引っ越してきて最初に感じた違いがこの「警戒心」でした。