「日本語教師は外国語もできた方がいいですか?」
日本語教師を目指す人がよく抱く疑問でもあります。
ここでは台湾、日本、中国本土の3カ所で日本語を教えてきた
私の見解を話そうと思います。
学生とその国出身の同僚の立場からいえば
外国語ができなくてもいいです。
中国本土においては、何ならできない方が
喜ばれます。
なぜなら、教師が媒介語ができなければ
学生や同僚教師は目標言語を使ってコミュニケーションするしかなく
自ずと自分の語学力が高められるからです。
私が今勤めている大学ではアメリカ人教師は現在三人いて
誰1人中国語ができない。やる気もない。
英語教師たちは一生懸命嬉しそうに英語で話しています。
学生の前でアメリカ人教師と英語で会話するとき
彼らの自尊心は満たされます。
学生も恥ずかしさや失敗を恐れる気持ちを乗り越えて
なんとか英語でコミュニケーションしようとします。
当然コミュニケーション自体を諦める人も多いですが。
だから外国人教師は特別な価値のある存在として
学習言語を実践できる唯一の存在として
とても重宝されます。
ところが外国人教師が私のように彼らの母語が
堪能だった場合
何よりメンツを大事にし
外国人の前で失態を晒すことを恐れている
中国の人々は
学習言語を使うことを早々に諦め
母語でコミュニケーションするようになってしまいます。
30人中1人くらい、自分の学習能力言語力に自信があって
社交性も高い積極的な人だけが
学習言語でコミュニケーションしてくれます。
なので教室の中ではネイティブ日本語が学べても
私個人と話すときになかなか実践をさせてあげられません。
さらに同僚教師に至っては
外国人教師は自分がこれまで懸命に勉強してきた専門言語を使って
自分の能力を発揮したり高めたりして
自尊心を高める絶好の相手であるのに
相手が自分の母語ができてしまうと
自尊心が傷つくようです。
日本語が上手な中国人として日本語を教える自分の前に
中国語が上手な日本人で日本語を教えられる人が来てしまったら
どうやら劣等感を抱かせてしまうみたいです。
人によりますけどね。
だから同僚の日本語教師はアメリカ人が簡単な中国語を話したら
大袈裟に褒めるけれども
私の中国語を頑なに褒めようとしない(苦笑)
英語教師は専門が違うからか、素直に褒めてくれるのに。
英語教師が目の前で私のことを
彼女は日本語中国語英語の3つの言語を流暢に話せるよ。
語学の才能があるんだね。と褒めたりしたら
中国人日本語教師は顔を曇らせます。(わかりやすい)
私が高校生のとき
英語のネイティブ教師が1人いました。
この先生は学校の中で日本語が全然話せないふりをしていました。
「ふり」だったのです。
実は日本で生活しているし日本語はペラペラだったんです。
だけど学生の英語力向上のために、学校では一切日本語を
話しませんでした。
彼女が離職するとき、それは初めて明かされた事実でした。
こういう優れた先生は実はたくさんいると思います。
私も最初は学生や中国人教師の前で
あまり中国語を使いませんでした。
しかし当大学の日本語レベルはかなり低く
教師でさえも流暢に会話ができる人は少ないために
中国語を使わないと不便がある環境なので
いつの間にか中国語を使うことが増えてしまいました。
英語と違って日本語は大学から始める人が多く
やはり完全に日本語だけで進めるのが難しいです。
それでも授業や学校内では中国語ができなくても
やっていけると思います。
実際、全然できない日本人教師も他の大学には
たくさんいるようです。
ただ、生活するという面でいえば
当然できた方がいいです。
北京や上海のような外国人に慣れている都会ならまだしも
私がいる町のような外国人をみたことがない人が
ほとんどの田舎町なら
中国語ができないと生活に大きな支障があります。
また、私の考えとしては、自分が外国語を生活で使えるレベルまで
習得した経験のある人が第二言語を教える方がよほど
説得力があると思っています。
でも、教えるスキルと自分自身の言語能力は必ずしも
一致しないので、外国語がペラペラだけれども
教える才能がない教師よりも、モノリンガルでも
教えるのが上手な教師の方がいいとは思います。
結論:日本語教師は媒介語ができなくても仕事上
大きな問題はないし、むしろ学習者と同僚教師にとって
いい効果を与えることができるが、海外生活という点では
絶対にその国の言語ができた方がいい。
ただし学校のレベルによっては自分がその国の言語が
堪能であることは隠しておいた方が大事にしてもらえる
かもしれません。