芦原妃名子急死の責任は日テレにある!脚本家は本当に経緯を知らなかった

セクシー田中さんトラブル

※記事内に広告が含まれています。

日テレ連続ドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが自殺した件で、脚本家の相沢友子さんが2月8日、Instagramに訃報後初めてのコメントを発表しました。そのコメントが、「私にとっては初めて聞くことばかりで」や「もし私が本当のことを知っていたら」などと責任逃れと思える文言で批判が集まっていますが、脚本家は本当に経緯を知らなかった可能性が高いと思える情報をがありますのでまとめます。脚本家の相沢友子さんが責められていましたが、真犯人は日本テレビかもしれません。

脚本家相沢友子追悼文に批判殺到

一部抜粋

芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。そして今もなお混乱の中にいます。
もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません。あまりにも悲しいです。
この追悼文に対し、世間では「責任逃れ」「また自己弁護」「初めて聞くって原作も読んでなかったの?」と批判が殺到しています。
Xのコメント
初めて聞くことばかりで
嘘つけ 「何度も口出しされて」って文句垂れてたやんけお前
「どいつもこいつも責任逃れに必死だな」としか言いようがないな…
自己保身がすぎる…
私も最初はそう思いましたが、調べていくうちにこの相沢先生の言葉は本当なのかもしれないと思いましたので以下にその根拠を書きます。

脚本家は原作者が提示していた「ドラマ化にあたっての前提条件」を知らされていなかった

芦原先生は自身のブログでも生前書かれていた通り、ドラマ化にあたっての前提条件を提出していました。その中に「漫画に忠実にし、忠実でない場合は加筆修正をする」とありましたが、その小学館と日本テレビに提示していたはずの前提条件は、脚本家には知らされていなかった可能性が高いと関係者は言います。
というか、これは当たり前のことで、売れている脚本家に書いてもらうためには、「どうぞ力を存分に発揮していただければ」と話を持っていくのが制作者の通常の姿勢だし、脚本家としては「原作者の書いたまま」なんて、脚本家の存在意義がないことになりますから、絶対に「違うものを作る」のが「仕事の大前提」になる。
テレビドラマは視聴率を稼いでこそなので、脚本家は鮮やかに原作を超えるものを作り、視聴率という結果を出す。それがテレビドラマ脚本家の存在意義であり、腕の見せ所だと言います。
なのでテレビ局としては当然脚本家先生に「原作に忠実に書いてください。改変はしないでください」とは到底言えず、「より良いものをお願いします!」と依頼するのが業界の常識だと関係者は話しています。

脚本家には「原作を超えるおもしろいものを」原作者には「原作を尊重します」というテレビ局の2枚舌

これまで声を発した脚本家、映像化を経験した漫画家、業界を知る関係者の話をまとめると、芦原先生が自殺するほど追い込まれたテレビ業界のやり口が見えてきました。
・脚本家には原作を超えるおもしろいもの(視聴率が取れるもの)を要求
・原作者には作品をもらうために原作を尊重すると嘘の約束
今回の「セクシー田中さん」の場合も、原作者とドラマ製作陣が直接顔を合わせたことはなく、交渉は日本テレビと小学館が行い、それぞれ脚本家と漫画家に伝達していたと言っています。原作者と脚本家という二人のクリエイターが直接顔を合わせて話をする機会はないため、テレビサイドはそれぞれにいい顔をしているというわけです。

プロ同士の意地とプライドをかけた戦い

脚本家はドラマとしておもしろいものを書くという使命とドラマ脚本のプロというプライドがあり、漫画家にはおもしろい漫画を書くという使命と漫画家としてのプライド、作品を生み出した親心があります。

テレビ局には少しでも視聴率を稼ぐという使命とテレビマンとしてのプライドがあり、コミック出版社にはおもしろい漫画作品を世に送り出すという使命と有能な漫画家を発掘しプロデュースするプロとしてのプライドがあります。

漫画作品の映像化の現場ではテレビ局、コミック出版社、脚本家、漫画家のそれぞれのプロが使命と尊厳と意地とプライドをかけて戦っていると言います。

理想はそれぞれのプロが力を合わせて1つの最高の作品を創り出すことでしょうが、それぞれに大事にしているものがズレているため、そうはうまくいかないのが常のようです。

ドラマ制作テレビサイド>コミック出版社の構図

画像:yahooニュース

小学館が「コミック編集者一同」としてコメントを出しましたが、そこには漫画編集部サイドはテレビ局に強く言えない業界の空気がにじみ出ています。

コメント一部

小学館 芦原妃名子先生のご逝去に関して

著者の意向が尊重されることは当たり前のことであり、断じて我が儘や鬱陶しい行為などではありません。
守られるべき権利を守りたいと声を上げることに、勇気が必要な状況であってはならない。
私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません。

編集者の方たちからは、間に入っていながら原作者の芦原先生の当然の権利を守れなかった無念の気持ちが感じられます。また、「小学館」としてではなく、その中の「第一コミック局編集者一同」としてコメントを出していることからも、小学館はテレビ局との利害関係があり、テレビ局の非難と受け取られるようなことは言えない忖度があることが分かります。

ドラマ制作現場の力関係の不均衡がいじめのような形になってしまった

画像:東スポWEB

ドラマ制作現場で一番力を持っているのはテレビ局であり、ドラマを制作しているプロデューサーなどの制作陣です。テレビの普及率、社会への影響力はまだまだ巨大であるため、コミック出版サイドとしては映画やドラマ化の話が来たらテレビサイドの意向を聞かないわけにはいかず、テレビ側にあまり強いことは言えないようです。

そしてテレビサイドはチームでドラマ制作に携わっているのに対し、作品を提供する原作者は一人です。コミック出版社は間に入って交渉などはしますが出版社と作家はチームというわけではないようです。

最も強い力と決定権を持っているテレビ局が大勢で1つになって原作者個人と交渉する構図で、意見の食い違いが出た時に、多勢に無勢でいじめのような構図になっていることが目に浮かびます。

小学館としては「出来る限り芦原先生の要望は伝えた」と思っており、芦原先生も脚本の相沢友子さんもそれぞれに自分の仕事を懸命にやっただけではないでしょうか。

どちらにもいい顔をしておきながら、最終的には”より数字を優先”して改変することを何とも思わない。今回原作者がネット上に経緯を書いてから自殺されたことで明るみに出たドラマ制作現場の裏側。

昔から変わっていないテレビの体質だと漫画作品が映像化されたことのある漫画家たちは声を上げています。そして日本テレビをいまだにコメントを出していません。

 

漫画家たちの声

タイトルとURLをコピーしました