東アジア反日武装戦線ってなに?メンバーの現在は?

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1970年代に起きた連続企業爆破事件で重要指名手配されている「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、爆発物取締罰則違反の疑いで50年近く指名手配されていた「桐島聡」と名乗る男が、29日、胃がんのため神奈川県鎌倉市の病院で死亡しました。この記事では「東アジア反日武装戦線」とはどんな集団なのか、何をしたのか、さらにメンバーの現在についてわかりやすくお伝えします!

東アジア反日武装戦線(ひがしアジアはんにちぶそうせんせん)とは

東アジア反日武装戦線のマーク(Xより)

1974年8月から1975年5月にかけ12件もの連続企業爆破事件を起こした極左テロ集団。メンバーは大学生を中心とした20代半ばの若者たちで、反日やアイヌ革命論を主張していました。反日武装とは、「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、敗戦以前に日本が行った植民地支配および侵略戦争の責任を問い、反日運動のために武力闘争を展開しなければならないという考えに至ったものです。手段として使ったのは爆弾でした。

東アジア反日武装戦線メンバーらは日本当局側に認知されていた過激派活動家とは異なり、表向きには学生や社会人として一般日本人のような生活を送りながら事件を起こしていたことも世間に衝撃を与えました。

主要メンバー逮捕後、東アジア反日武装戦線をテーマ、モチーフにしたドキュメンタリー、映画、小説、ドラマ、音楽が制作されるなど世の中に多大な影響を与えました。

歴史と関連事件

1970年春 前身となる「Lクラス闘争委員会」結成
1971年1月 自家製爆弾の実験開始

1971年12月12日 興亜観音・殉国七士之碑爆破事件
1972年4月6日  総持寺納骨堂爆破事件
1972年10月23日  風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件
(いずれも器物損壊、死者負傷者なし)

1972年12月 「東アジア反日武装戦線」という名称が誕生
その傘下に闘争意義や理念を共有する「狼」「さそり」「大地の牙」といった小グループが結成される

1973年 爆弾の作り方やゲリラ戦法などの教程本である小冊子『腹腹時計』の執筆を開始
1974年3月 地下出版

画像:東アジア反日武装戦線KF部隊(準)

1974年8月14日 昭和天皇暗殺計画の実行未遂
1974年8月15
 韓国で、朝鮮総連指令を受けた在日韓国人である文世光が時の韓国大統領朴正煕を暗殺しようとして彼の妻陸英修が銃殺される。(文世光事件)

1974年8月30日「狼」班による三菱重工業東京本社ビル爆破(三菱重工爆破事件
8名が死亡、376人が重軽傷。

三菱重工爆破事件直後の様子   画像:朝日新聞デジタル

10月14日 「大地の牙」班による物産館 (三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。16人が重軽傷。
11月25日 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。
12月10日 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。9人が重軽傷。
12月23日 「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。

1975年2月28日  三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。5人が負傷。
4月19日 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所爆破(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。
4月28日 「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。1人が重傷。
5月4日 「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破(間組爆破事件)。

1975年5月19日 主要メンバー7名(大道寺夫婦・佐々木・益永・齋藤・浴田・黒川)と協力者の看護学生1名が逮捕された。

1975年6月28日  東京地方検察庁に起訴。

1975年8月4日 【クアラルンプール事件】武装した日本赤軍のメンバー5人が、マレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃・占拠し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取り、人質の解放と引き換えに日本国内での活動家7人(勾留中の西川純、戸平和夫、坂東國男、坂口弘、佐々木規夫と服役中の松田久と保釈中の松浦順一)の釈放や自グループへの参加を日本政府に要求した。

日本政府は要求に応じ、「超法規的措置」として7人に日本赤軍への参加意思を確認。参加意思がある5人を釈放・出国させた。反政府過激派が日本政府に対して勾留メンバーの釈放要求をして、実際に釈放させた初めての事件となった。

1975年12月25日より裁判が開始

1977年9月28日ダッカ日航機ハイジャック事件
フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール空港発東京国際空港行きの日本航空472便(高橋重男機長以下乗員14名、乗客142名うち犯人グループ5名)が、経由地のムンバイを離陸直後、拳銃、手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。

人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート〈1USD≒約266円〉で約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質をアメリカ人から順次殺害すると警告した。この便には当時のアメリカ合衆国大統領ジミー・カーターの友人であるアメリカ人銀行家が乗っており、日本政府は要求を呑まざるを得なかった。この事件で大道寺あや子(将司の妻)と浴田由紀子(齋藤の内妻)が超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流した

主要メンバーと逮捕後の足取り

大道寺将司

東アジア反日武装戦線を結成したリーダー。後「狼」班リーダー。1975年5月19日逮捕。1977年の日本赤軍の要求した超法規的措置による釈放を逮捕者の中で唯一拒否した。最高裁において1987年3月24日に死刑が確定。2017年5月24日、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で死去

大道寺あや子

リーダー大道寺将司の妻。事件当時は薬剤師。1975年5月19日逮捕されていたが、1977年10月1日以後の日本赤軍による超法規的措置で釈放後、国際指名手配中

片岡利明

1975年5月19日逮捕。最高裁において1987年(昭和62年)3月24日に死刑が確定。収監中

佐々木規夫

1975年5月19日逮捕。1977年10月1日以後の日本赤軍による超法規的措置で釈放後、国際指名手配中

齋藤和

東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊リーダー。1975年5月19日逮捕。逮捕時に服毒自殺

浴田由紀子

“大地の牙”部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であり、住居提供&犯人秘匿をしていた。1975年2月、朝日生命成人病研究所勤務へ転職。1975年5月19日逮捕。1977年、日本赤軍の要求に基づき超法規的措置で釈放後日本赤軍に加入。国際手配される。1995年、ペルーからルーマニアに日系ペルー人を装って入国し、潜伏活動をしていたところを3月20日に身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕。2002年(7月4日、東京地方裁判所にて懲役20年の判決が下される。服役中は栃木刑務所で過ごし、2017年3月23日に刑期満了で釈放

黒川芳正

1975年5月19日逮捕。1979年11月東京地裁で無期懲役の判決が下る。服役中

宇賀神寿一

上記のメンバー同時逮捕では逮捕を免れ、1982年7月に京都板橋区内で逮捕。同年3月まで偽名で新聞販売店で働いていた。1977年3月24日、最高裁にて上告棄却し、無期懲役が確定・服役中。1990年2月に最高裁で懲役18年判決が確定した。岐阜刑務所に13年間服役し、2003年6月11日に出所

桐島聡

同時逮捕を免れ、1975年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、31日に広島県の実家に「岡山に女と一緒にいる」などと父親に電話したのを最後に、足取りが途絶えていた。その後海外潜伏を経て神奈川県内の工務店に長期間勤務していた。2024年1月、体調を崩して路上で倒れ、自ら救急車へ連絡して入院。末期の胃がんだった。「ウチダヒロシ」という偽名で入院中だったが、1月26日「最期は本名で迎えたい」と桐島聡であると名乗り出て、発見された。警視庁公安部が捜査する中、1月29日死去

参照、引用:Wikipedia 
Weblio

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コメント

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